インタビュー

INTERVIEW

廣瀬順子選手のインタビュー時の笑顔の様子

廣瀬 順子(ひろせ じゅんこ)

柔道が題材の少女漫画の主人公に憧れて、小学校5年生の時に柔道を始めました。中学校、高校も柔道部に所属し、全国大会出場を目指して練習に励んでいました。

高校卒業と同時に柔道はひと区切りとして、大学では柔道部には所属しましたが、高校時代ほど柔道に打ち込むという感じではなかったです。

19歳の時に、膠原病(こうげんびょう)にかかって半年間入院し、その病気の合併症の影響で視覚障害になりました。

全盲ではなく弱視で、普段は白杖を持たないので、周りの人に視覚障害だと気づかれないこともあります。助けが必要なときは、言葉で伝えるか、気づいてもらうために白杖を持つ時もあります。

病気をしてからしばらくは柔道から離れていましたが、大学3年生の時に視覚障害者柔道をはじめました。当時は近所の道場でたまに練習していたくらいです。はじめのころは、柔道ができて嬉しいという気持ちだけで、大きな大会を目指そうとは思っていませんでした。

大学卒業後に柔道を仕事として就職をすることになったことが、柔道を本格的に始めたきっかけです。それからパラリンピック出場を目指すようになりました。

廣瀬順子選手が国際大会の表彰式で銅メダルを持っている様子

最初は柔道ができることが嬉しかったのですが、仕事として毎日柔道をすることは大変だろうなと悩んだ時もありました。いまはパリパラリンピックの出場権を獲得するために沢山練習していて、きついなと思う時も多いです。(日本代表チームの強化合宿中にナショナルトレーニングセンター内でインタビュー)そんなことばっかり、言ってたらだめですね[笑]

柔道に集中しているときは楽しいです。逆に集中できていない時は練習がきつく感じます。

私は緊張しやすいので、毎試合とても緊張しています。心理士の先生にアドバイスをもらって、試合前には交換神経と副交感神経のバランスを整えるルーティンをしています。それがうまくいった時は試合の結果も良くて、逆にうまくいかなかった時は結果も良くないので、メンタルが大切だなと思います。

廣瀬順子選手が稽古をしている様子

点字は視覚障害者が情報を知る大切な手段ですが、私も含めて弱視の中には点字は読めない方も結構いると思います。点字が読めない人がいるということを知ってもらいたいです。弱視だと、文字の大きさや色のコントラストなどで見えやすくなる時もあります。点字に加えて、そうしたことも理解してもらい、施設などのバリアフリーを考えてもらえたら、もっと生活しやすいなと思います。

パリパラリンピックの出場権獲得です。それ以降のことは、今は考えてなくて、パリに向けて練習を頑張っています。

廣瀬順子選手が試合で背負投をかけている様子

私は結婚もしているので、引退後は普通に女性らしく生きていきたいと思っています。

(家庭を作ることに専念したいということですか?)はい、そうです。一般の女性として、これまでと変わらず普通に暮らしていきたいです。

柔道には危険なイメージもあると思いますが、きちんと受け身をとれば安全に行えるスポーツですし、受け身は日常生活で転んでしまった時にも役立ちます。

一度気軽に体験して貰えば、柔道の楽しさが伝わると思います。

いまはまだ、視覚障害者を初心者から指導してくれる道場が少ないので、これから理解が進んで、視覚障害者が気軽に柔道をはじめられる場所が増えていけばいいと思います。

廣瀬順子選手のインタビュー時に歯を出して笑っている様子